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やすうら夢工房ブログ

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広島県呉市安浦町のまちづくりに関する情報を発信していきます(σ*´∀`)σ☆

人材育成研修「たんと塾」 パート3 野呂山を探検編

10月21日(日)秋晴れのいい天気。今回は、まちづくり協議会が行う、人材育成研修の第3弾として「たんと塾・野呂山を探検編」を開催しました。参加者は17名。野呂山の名所・史跡・普段なかなか行けないマニアックなポイントなどを巡りました。野呂山と言えば「川尻」のイメージが強いですが、安浦も負けてはいません。面積は安浦が広く、弘法寺や大重岩などの史跡は安浦エリア。
さざなみスカイラインが川尻から開通し、展望の良い川尻側で観光開発が進んだ経緯で安浦エリアの存在が薄いのです。開拓・元遊園地・元サーキット場・今も山頂に住む人たち・・・皆安浦。
今回は川尻・安浦で区切らずに全体の野呂山をテーマに巡っていきました。
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    呉の摩周湖と呼ばれる「昭和池」            明治時代、天然氷を製造していた「氷池」  
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野呂山芸術村入村画家の作品を展示「野呂山レストハウス」
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今日は年に一回の弘法寺「火渡り護摩法要」を見学! 山伏が弓矢を放った後、火入れ開始
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火が落ち着いた後、参列者約400人程の人が無病息災を願い火渡りの渡り初め。ここは、地元の中切地区の世話人がご接待します。
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弘法寺の後は、大重岩・小重岩を探訪。小重岩は名前は知ってるけど行ったことがない参加者が多く興味津々。名前は小重ですが、岩全体の大きさは大重よりはるかに大きく見応えがあります。
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最後は「勧農坂開拓跡」へ。野呂山開拓の始まりがこの地で江戸時代の石垣・馬離場池・野呂神社跡と、今も多くの遺跡が残っています。平成22年に「林道郷原野呂山線」が開通し、気軽に訪れるようになった所。
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参加者からは、こんな所に石垣が!・神社跡が!・・とまるで探検気分!一番歓声が上がり、本当に安浦は広い!と皆は満足してました。この研修で「やすうら通」が一人でも多く増えて関心を持ってもらえればと、今後も企画していきます。 タウンレポーターTMでした

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by yasuurayumekobo | 2012-10-22 16:58 | 町内行事・イベント | Comments(4)
Commented by 広町鈍足銀輪隊 at 2012-11-26 13:37 x
ヤフーで、同伴タイトルでブログをしている者です

先日、集落跡を探索しましたが、神社跡地を見た時は、感動がひとしおでした(先月、野呂神社の祭りに参加させていただいた事もあり、当時ね情景が、浮かぶ気持ちになりました)

そこで、質問させていただきたいのですが…

集落は、どれくらいの面積だったのでしょうか?

皐月橋より、やや上方あたりに、自動車道の法面上と下に、石垣が残っていますが、そこも、集落内に位置していたものでしょうか?
1961~1980年代の、頃の航空写真では、馬離場池より市原方面(神社跡地よりもさらに北方向辺り)に、進んだ所に、石垣や、畑の痕跡が、写っているのですが、集落跡地なのでしょうか?
Commented by やすうら夢工房 at 2012-12-02 22:36 x
夢工房のブーブーBです。
返事が遅れてすみません。
広町鈍足銀輪隊さん、よくぞ観農坂を訪れてくださいました。
江戸時代から開拓が始まり、一時は村ができていたこともあるエリア。
馬離場池は、広方面の農業用水源であったようで、打ち棄てられた石碑により、そのことを知ることができました。
去年2011.11.08の記事「まるで安浦のアンコールワットだ!」
に詳しく紹介されています。
その記事を書いた、タウンレポーターTMからも、熱い返信があると思います(たぶん…)。
雪、氷がなければ、観農坂探検には、今からがベストシーズンになります。

それにしても、もしかして、広から自転車でクライムされたのですか?ヒエーッ。
Commented by 広町鈍足銀輪隊 at 2012-12-03 14:08 x
こんにちは。
情報ありがとうございます。

やっと、墓を確認することができました。
近くには、農業用発動機もありました。
探索すればするほど、広大な集落だったと、感じます。

今回は、ガードレール下より、集落へ入ってみました
自転車は、車道と登山道は普段上がっています、野呂と弘法寺には、一年中出没ですね~野呂川自然体験にも、お誘いいただいてたんですが、都合上参加できず、今でも残念です。

今、勧農坂の航空写真(1960~1975)を、時間があれば確認ばかりしています。

全容を確認したいと、思っています。
Commented by yasuurayumekobo at 2012-12-05 09:38
安浦夢工房のタウンレポーターTMです。返事が遅れすみません。初めまして広町鈍足銀輪隊さん。勧農坂に興味いただきありがとうございます。ブーブーB氏の返信にもあったように、昨年、2人で現地を訪れ、広大な農地跡に感動し、ブログアップしました。この地は、江戸時代の開拓が主です。明治時代は殆ど失敗に終わっています。面積ですが正確な数値は私もわかっていません。だだ、当時(天保時代:1831)当時は約200戸の開拓者が開墾し、要所役人も置かれ、独立村を築いていたことは間違いありませんんね。開拓決定は333町(333ha)で、広村・黒瀬領分・安浦領分・川尻領分と広範囲で、そのうち、勧農坂がどれくらいかは不明です)私も、この地を訪れた時、当時の開拓の歴史・苦難に思いをはせて、決して風化させず、後生に伝えるべきと思いました。私も今後、全容を確認すべく調査していきたいと思っています。本当に興味を持っていただいて感謝です。