弥四郎水路の全貌が明らかに2
この箇所のクライマックスは、線路をくぐる部分。よく見れば、1954.9の刻印。
ということは、昭和29年にこのコンクリート構造物が作られたということ。
この区間の呉線開通が昭和10年ですから、しばらくの間は、コンクリート張りでない水路だったということか…
江戸時代の人が造った水路ですが、考える材料を提供してもらいました。
ブーブーBでした。
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この道はあまり通りませんが、2日前に久しぶりに
通って、めちゃスッキリしてるのにビックリしましたよ^_^;
そしてブログ訪問して、その事が取り上げてあるのを見て
二度ビックリです(笑)
気づかれていたとは、抜群なセンス。
実のところ、木が繁る写真は、意図せず残っていたもので、ちょっとした「スクープ」なのです。
もしよろしければ、様々な安浦ネタを、主宰者と連絡をとり、
この板で発表されてはいかがですか(ご自信のブログもあるとは思いますが)。
夢工房 ブーブーBでした。