人材育成研修「たんと塾」 パート3 野呂山を探検編
さざなみスカイラインが川尻から開通し、展望の良い川尻側で観光開発が進んだ経緯で安浦エリアの存在が薄いのです。開拓・元遊園地・元サーキット場・今も山頂に住む人たち・・・皆安浦。
今回は川尻・安浦で区切らずに全体の野呂山をテーマに巡っていきました。
最後は「勧農坂開拓跡」へ。野呂山開拓の始まりがこの地で江戸時代の石垣・馬離場池・野呂神社跡と、今も多くの遺跡が残っています。平成22年に「林道郷原野呂山線」が開通し、気軽に訪れるようになった所。
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先日、集落跡を探索しましたが、神社跡地を見た時は、感動がひとしおでした(先月、野呂神社の祭りに参加させていただいた事もあり、当時ね情景が、浮かぶ気持ちになりました)
そこで、質問させていただきたいのですが…
集落は、どれくらいの面積だったのでしょうか?
皐月橋より、やや上方あたりに、自動車道の法面上と下に、石垣が残っていますが、そこも、集落内に位置していたものでしょうか?
1961~1980年代の、頃の航空写真では、馬離場池より市原方面(神社跡地よりもさらに北方向辺り)に、進んだ所に、石垣や、畑の痕跡が、写っているのですが、集落跡地なのでしょうか?
返事が遅れてすみません。
広町鈍足銀輪隊さん、よくぞ観農坂を訪れてくださいました。
江戸時代から開拓が始まり、一時は村ができていたこともあるエリア。
馬離場池は、広方面の農業用水源であったようで、打ち棄てられた石碑により、そのことを知ることができました。
去年2011.11.08の記事「まるで安浦のアンコールワットだ!」
に詳しく紹介されています。
その記事を書いた、タウンレポーターTMからも、熱い返信があると思います(たぶん…)。
雪、氷がなければ、観農坂探検には、今からがベストシーズンになります。
それにしても、もしかして、広から自転車でクライムされたのですか?ヒエーッ。
情報ありがとうございます。
やっと、墓を確認することができました。
近くには、農業用発動機もありました。
探索すればするほど、広大な集落だったと、感じます。
今回は、ガードレール下より、集落へ入ってみました
自転車は、車道と登山道は普段上がっています、野呂と弘法寺には、一年中出没ですね~野呂川自然体験にも、お誘いいただいてたんですが、都合上参加できず、今でも残念です。
今、勧農坂の航空写真(1960~1975)を、時間があれば確認ばかりしています。
全容を確認したいと、思っています。