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やすうら夢工房ブログ

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広島県呉市安浦町のまちづくりに関する情報を発信していきます(σ*´∀`)σ☆

「安浦戦跡をたどる」に向けて -安浦町誕生と海兵団-

1944(昭和19)年1月1日安浦町が誕生しました。旧賀茂郡に属していた三津口町、内海町、野路村がこの日合併したのです。
3町村の合併は、「塩田」に海軍の「海兵団」が建設されることと深い関係があります。
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江戸末期から明治にかけ、野呂川河口の干潟で塩田開発が始まりましたが、堤防の決壊などで事業が難航していました。
明治後期香川県丸亀市の経営者が引き継いだ後、塩田業の盛んな同県から相次いで業者が再建に乗り出し、
明治41(1908)年塩田与三郎氏らのグループが竣工させました。
最終的に、大正7(1918)年香川県屋島町出身の木村仁平氏(1877-1963)が「蒸気式製塩法」を採用し、安浦町実成新開の塩田は軌道に乗りはじめ、順調に推移したのでした。(安浦町史)
塩田が拡大され、昭和16(1941年)木村仁平氏64才の時、現地に石像「木村仁平寿像」が作られました(『寿像』とは対象者が生前につくられる像)。

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一方、呉に旧海軍鎮守府が置かれ、太平洋戦争末期、兵力増強のため陸上で戦う兵士の養成機関「海兵団」が設けられました。
呉鎮守府では、大竹に続き「安浦海兵団」が建設されることになり、塩田が海軍に買い上げられ、昭和19年9月に発足。
木村仁平氏は、買収された土地の資金で航空機「実成号」を2機購入し、海軍に寄贈し、
塩田の中にあった石像は、現在の位置に移設されたのでした。

安浦には海兵団の他にも、日之浦の沖現在のシャトレーゼガトーキングダムせとうちがある場所に、
広にあった旧海軍11空廠(海軍の航空機を製造開発する部門)の工場(地下工場)があり、
飯野山など安浦周辺の山には航空機を迎撃する砲台が設置されました。

それまでも三津口・内海両町合併の話があったのですが、実行されませんでした。
呉線全線開通した90年前の昭和10年、両町境にできた駅名は「三津内海駅」でした。
海兵団が開設されることになり、行政区統一という軍の要請があり、軍施設周辺3町村の合併が実現したのです。
時の県知事横山助成が「浦、安かれ」(穏やかな入り江の町でありますように)の願いを込めて「安浦町」と命名されたのです。
昭和21年には駅名も「安浦駅」になりました。
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「安浦海兵団」の存在を示すものはほとんど残っていません。
「安浦町史 地誌・民俗編」に紹介されているのですが、資料も乏しく全貌をつかむことは難しく、
終戦時の財産目録によると、約20の建物があり7500人収容可能だったことが書かれています。
現在、安浦まちづくりセンター三津口分館には「安浦海兵団の碑」があります。
(また、南薫造がデザインした旧安浦町章が、煙突にみることができます)
国土地理院のWEBサイトで、昭和22年米軍が撮影した航空写真を見ることができますが、(1647.10.1 USA R512-1 18)
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駅前のエリアに兵舎が並ぶ様子が確認できます。ただ、海側は未利用のままだったこともわかります。海兵団が必要な水は、水源となった井戸(現在コスモスがある場所)から一旦高台の「配水池」に揚げ、
そこから水圧で供給しました。その証として、階段と「鉄管橋」が、東消防署安浦出張所前に残っています。
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海兵団開設後1年経たないうちに終戦を迎え、海兵団があった土地には、広島の原爆で被害を受けた広島県立医学専門学校と女子高等師範が移ってきました。
「だるま食堂」の女将さんに聞いた話、「女子師範があった頃、女学生が寄っておでんを頼むんだけど、『おばちゃん、もっと甘うして』と言われ、うちのおでんは甘いんよ」。安浦のおでんが黒く甘い、ヒントです。閑話休題。
広島医専(後の広島大医学部)は呉市(昭和26年)へ、女子高等師範は後の広島大学福山分校となり福山(昭和25年)へそれぞれ移転していきました。

その跡地に、工場が誘致されました「帝国製鉄」。広島県加計町で木炭による製鉄を行っていた企業です。
安浦駅から引き込み線ができるほど盛業だった時期もありましたが、産業構造の変化により撤退。
安浦駅前の工場跡地には住宅団地(晴海園)などができ、現在の町の中心になっています。

未利用だった土地は埋め立てられ、一部は苦労の末農地になり、現在ではいちじくの生産拠点になっています。
その他の土地は、県企業局で売却していて、ソーラ-パネル発電や工場などで利用されています。

短期間であったにせよ、現在の安浦町につながる大きな影響を与えたのは、海兵団の存在であったことは、疑いのない事実のようです。

ブーブーBでした

by yasuurayumekobo | 2025-03-27 00:22 | 安浦あんな所こんな場所 | Comments(0)