江戸末期から明治にかけ、野呂川河口の干潟で塩田開発が始まりましたが、堤防の決壊などで事業が難航していました。明治後期香川県丸亀市の経営者が引き継いだ後、塩田業の盛んな同県から相次いで業者が再建に乗り出し、明治41(1908)年塩田与三郎氏らのグループが竣工させました。
最終的に、大正7(1918)年香川県屋島町出身の木村仁平氏(1877-1963)が「蒸気式製塩法」を採用し、安浦町実成新開の塩田は軌道に乗りはじめ、順調に推移したのでした。(安浦町史)
塩田が拡大し、昭和16(1941年)木村仁平氏64才の時、現地に「木村仁平寿像」が作られました(『寿像』とは対象者が生前につくられる像)が、海兵団建設により、塩田の中にあった石像は、現在の位置に移設されたのでした。
・木村仁平氏を造った石工、和泉末夫
石像脇にこの像に携わった人々の名が刻まれた碑があり、昭和17年に香川県牟礼町 石工 和泉末夫氏が制作したことがわかります。
現在は高松市内にある牟礼町と隣の庵治町、両町にまたがる五剣山から採れる庵治石は、昔から「世界一の石材」と言われている高級な石材です。広島市の平和大橋をデザインした米国の彫刻家イサムノグチ」氏は、庵治石を使用したのが縁で、牟礼町にアトリエ(現在「イサムノグチ庭園美術館」)が設けられました。
古くから切り出しから加工に到るまで作業が細分化され、「石工」と呼ばれる職人が今に到るまで活動しています。
現在牟礼町には庵治石の歴史などを伝える「高松市石の民俗資料館」があります。
石工 和泉末夫氏について、2023(令和5)年11月「高松市石の民族資料館」に問い合わせると、
和泉末夫氏のお孫さんも石材に携わっておられ、木村仁平像制作時に安浦から出された「感謝状」が残っていることがわかりました。
令和6年11月には、資料館「友の会」の皆さんが安浦に来られ訪問され、様々な事柄が分かってきました。
それは、かつて安浦町が塩田により香川県との交流があったことを示す証になりました。箇条書きで書き出してみます。
・和泉末夫氏(明治40(1907)年-昭和34(1959)年)、木村仁平像製作時は34才。
木村仁平氏を30才下の和泉氏が作品に仕上げた、ということになります。
・和泉末夫氏は神社の狛犬も造り、インターネットで調べると、倉敷市素戔嗚神社にある子連れの狛犬(昭和13年)に「サヌキ牟礼石工 和泉末夫」の銘がある。石像の前にある狛犬もその技術が使われている。
・石像は基礎の一部を除き、ほとんどが庵治石で出来ている。
・デザインを考えた左甚水氏は、左甚五郎の子孫で、高松市に住んだ、讃岐一刀彫の彫刻家。
・正面の揮ごうは、枢密院 三土忠造氏。現在の東かがわ市出身、文部大臣、大蔵大臣などを歴任した戦前政界の重鎮
・撰文(銘文の作成)は元慶応大学総長 林毅陸氏。佐賀県出身で高松で育ち戦前の歴史家、法学者、政治家で大学総長
これらのことが、牟礼町からのゲストにより判明したのでした。
また、塩田王・木村仁平氏についても、出身地は牟礼町に近い屋島町で、縁者が生活しておられるそうです。安浦にも縁者がおられます。
石像になった人、造った人。この像は、香川と安浦の繋がりの深さを物語り、安浦の町を見守っています。