昭和19年1月1日、内海町・三津口町・野路村が合併し安浦町が誕生しました。今年1月1日で80周年、81年目の年明けです。
その合併には、軍の意向が強く働いたと「安浦町史(地誌編)」にあります。
石像が残る木村仁平さんが開発した塩田などを造成し、海軍の海兵団(新兵養成機関)が置かれ、
近隣の山に高射砲陣地が置かれたことから、『3町村バラバラではいかん』というわけです。
町名は、当時の県知事が「浦安かれ」の思いで『安浦』と名付けたと言われています。
町史には「安浦町は具体的に太平洋戦争と深い関りを持ってきており…」と書かれています。
安浦町づくりセンター三津口分館には「海兵団跡の碑」があり、
東消防署安浦出張所前の水路には、配水池から海兵団に水を運んだ水管橋が残っています。脇を呉線の電車が通り過ぎていきました。
三津口分館の煙突?には、安浦町の町章(シンボルマーク)が残っていました。
今年は戦後80年、呉市合併20年などと節目の年。過去を振り返りながら、未来を考えていこうと思います。